春を感じて里山散策 日笠山 (2011.2.26)
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いつもはランニングのトレーニングコースである日笠山ですが,近年のトレイルランブームで,この日笠山をトレイニングコースとする人が増えてきているようです。とはいえ,地元の人たちにとってはお手軽な散歩コースであることには変わりありません。今日はその日笠山を歩きでのんびりと散策することにします。
いつものように日笠山山頂(P)へ。ここは三角点があり,展望台?もあります。標高60mほどですが,高砂や加古川の市街地はもちろん,播磨灘に浮かぶ家島群島などを望むことができます。残念ながら,この日はモヤっており,遠くまではっきりと見通すことができませんでした。展望台?の脇にあるのが「腰かけ岩」です。菅原道真さんが太宰府に左遷の際,この地に立ち寄り,この岩で休んだという謂れのある岩です。周りには,官公につきもの?の梅の花が満開です。ほのかに梅の香りが漂い,春を感じさせてくれます。
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日笠山
昔の民具である日笠の形に山容がよく似ているので名付けられた。桜の名所である。かつてはふもと集落の節句登山の場所であった。瀬戸内海を見下ろす眺望が素晴らしく,万葉集にも「印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ」と詠まれている。山頂は周辺は古墳時代前期の前方後円墳であり,現在もその古墳の輪郭は周囲を囲む通路に形をとどめている。(「ふる里の山名絵地図」より)
日笠山散策に出発です。いつものように走れば,牛谷トンネルまでの往復で30分ほどですが…。まずは,夫婦岩のあるピーク,「北山」を目指します。途中には,畑に行く道が分岐していますが,その一つはふもとに行く道のようです。「二輪車の乗り入れ禁止」の看板から急な上りになります。近年は,この道だけでなく,日笠山一帯が地元の人たちの手によって整備され,いたる所に木の階段ができています。それ以前は,何度かMTBで通ったことはありますが,木の階段ができてからは,乗車率が低くなり,あえてMTBで走るほどの所ではなくなりました。
急な上りを登り終えると,北山ピーク(1)です。辺りは,屋根付き休憩所「夫婦岩壱番地」があったり,ベンチがあったりで,ここで憩う人をよく見かけます。以前は,雑木などで見通しが悪かったのですが,今ではその雑木は切り払われ,すっかり展望がよくなり,案内板も新たに設置されています。夫婦岩はその中心にあります。ただ,岩がいくつかあるので,どれが「夫」で,どれが「婦」なのやら。北側も展望がよくなり,木立の間から,高御位山連山が一望できるようなっています。小高い丘のようなピークですが,素晴らしい展望です。
夫婦岩のじぎく
夫婦岩展望台は,40年以上もの長い間,竹と雑木に覆われていました。
平成16年1月に,竹きり鋸で伐採にかかり,散歩を日課としていた人々も加わり,3ヶ月間で1万本以上を切り倒しました。
伐採から2年目の17年春に,数箇所から突然のじぎくが芽を出し,群生がめだち始め,秋になって,純白の群落となりました。日笠山と夫婦岩のじぎく散歩道のマップもでき,新名所として,多くの人々が菊見に訪れてくれました。
18年の春がきて,新芽があちこちからいっぱい吹き出てきました。登り口付近にも群生が広がり,秋になり,夫婦岩を覆う大群落が出現しました。
彩を加えるため,日笠山に自生していた「キバナノジギク」の新芽を採取し,移植して育てたところ,無事に成長しました。
今年は,国体が兵庫県で50年ぶりに開催され,高砂市民球場での公式野球の試合では日本中の注目を集めました。この意義ある年を記念して,「夫婦岩のじぐく元年」と位置づけ,県花のじぎきを育て増やし続けたいと思います。
植物分類学の父といわれている牧野富太郎博士が「日本一の大群落」と折り紙をつけた日笠山連山の「のじぎく復活」を目指して…。
平成18年10月20日
北山
ふもとの曽根の市街地から眺めると,「日笠山」の北側に位置する大きな山である。山頂には「夫婦岩」と呼ばれる大小2つの巨岩が並んでいる。又この山の東斜面下部の松林では,かつてマツタケがたくさん出た。(「ふる里の山名絵地図」より)夫婦岩
「北山」の山頂付近に巨岩が大小2つ仲むつまじく並んでおり,あたかも二見ヶ浦の夫婦岩のようであるところから名付けられた。昔は安産のための信仰の対象となり,オコゼを供えていた。この岩は人工的に細工されており,古墳と推測する研究者もいるが未調査である。(「ふる里の山名絵地図」より)
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北山からの急な下りを下り終えると,左手の竹やぶの中に小径があります。これもふもとに下る道の一つなのかもしれません。2つ目のピークである「大北山」への急登ですっかり身体は温まり,うっすらと汗ばむほどです。登り終えると,縦走路はピークを巻くように平坦に延び,やがて,ジグザクの下り道になります。ここから北側斜面になるので,高御位山を望むことができますが,日陰なので寒い。ジグザクの下りを終えると,その先に「起き上がり古木」なるものがあります。台風で倒れていたはずのこの古木が,一夜にして突如復活!その不思議な現象からネーミングされたようです。倒れた当時は,道をふさいでいたので,ここを通るハイカーは靴で踏みつけていたはず。それが今や…。
起き上がり古木から畑の脇を抜け降り立ったところが馬坂(2)です。東西にある曽根と大塩を結ぶ小さな峠ですが,曽根側は昔ながらの風情のある峠です。ただ,近年は大小の看板が目立つのが残念です。「にぎろう幸せの手すり 山の神」って,どやねん!?大塩側は,南斜面のためか,畑作が盛んです。
馬坂
戦国時代に豊臣秀吉が中国征伐に行く時に通り,その際に馬を埋めたために,この付近から馬が化けて出るとの言い伝えがあるので呼ばれている。又この坂には,キツネの嫁入り行列の伝説が曽根町に伝承されている。雨がしとしと降る晩,この坂を登るキツネの提灯行列が見えたという。(「ふる里の山名絵地図」より)
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馬坂から登り返し,緩やかな上りを行きます。まだこのあたりは北斜面になるので寒い。ここもピークを巻くように道は付けられています。ピークは中筋山と命名されているそうですが,そのピークに向かう道は無し。雑木林の中を強引に登ってみるものの,すぐに濃いヤブになっているのでギブアップ。まぁ,登ったところで,それほど展望は期待できません。
中筋山
この山から東へ1〜2km離れた中筋集落の村山であったのでこの名称がつけられた。近くの天川が河川改修されるまで設置してあった石垣も「中筋の石垣」と呼ばれていた。
中筋山ピークを巻き終えると,目の前に高圧線鉄塔(3)が見えてきます。その巡視路は,東へは鉄塔手前から,西へは鉄塔を少し過ぎたあたりうから延びています。以前,西に延びる巡視路はMTBで走ったことがあるのですが,東に下る巡視路はまだ行ったことがありません。行ってみましょう。きれいに整備された巡視路は,その入り口付近こそ緩やかに下っていますが,すぐに急な下りに。とてもMTBでは下れません。それどころか,歩きでも滑り落ちそうなほどです。さほど標高差はないものの,一気に下るとなると,これぐらいの斜度になってしまうのでしょう。急な下りを下り終え,林の脇を抜けると,そこは馬坂からの峠道です。ただ,ここには巡視路を示す「火の用心」プレートはありません。
巡視路を引き返し,縦走路に復帰。ここからは下山,赤山,六本松山と緩やかなアップダウンが続きます。尾根も広くなり,途中には石垣で囲まれた耕作地跡も見えます。赤山には休憩所も設置されています。このあたりになると,枝道はなく,耕作地も見えません。六本松山まで来ると,南東の展望が一気に開けます。北浜と大塩の町並み,すぐ近くには一本松山も見えています。2カ月後には,ピンクのツツジで全山がおおわれていることでしょう。六本松山のピークを少し下ったあたりに,古い案内板がありますが,周りの木々が成長したために見通しが悪くなり,何が何だか…。
六本松山
この山頂には大きな松が6本そびえていたので名付けられた。昭和初期にもなお2〜3本の老松(幹回り約4m)が残っていたが,現在では枯死し,消滅してしまっている。(「ふる里の山名絵地図」より)
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六本松山から下り切ると峠(4)です。ここは北浜トンネルの真上に当たる位置で,清勝寺坂というそうです。かつては,ふもとの牛谷地区の子どもたちが北浜小学校に通うために利用された道だそうですが,トンネルができた今ではハイキング道となっています。峠から牛谷側に少し下ったところに愛国碑があります。太平洋戦争で戦死した牛谷地区の人たちを慰霊したもののようです。さらに下ると,集落への出口付近に「牛谷児童の旧通学路」の木柱があります。
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愛国碑
この碑はもと牛谷字天神山721番地の天神山標高36米の山頂に昭和31年5月建設したものである。
顧りみるに昭和16年太平洋戦争起こるや,天々祖国の必勝を念じて,わが郷土牛谷を離れ遠く戦地に赴く。
しかるに戦利あらず遂に戦場にたおれ,郷土に再び帰らざるもの9名,愛惜の情一入深し,この地はわが揺籃なり,わが祖先墳墓の地なり,ここに帰らざる九柱の英霊を慰めんため愛国会の手により建設したものである。
昭和41年高砂市は地域開発のため宅地造成事業を施行するにあたり碑は,工事中一時移転し,その後元の位置に復元建設する筈のところ,昭和41年8月牛谷字深谷722番地の1,標高42米のその地に安置することとなる。
願わくは,英霊永眠の地となり,ながく郷土牛谷の地を護られんことを。
昭和44年8月建之
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峠に戻り,縦走再開。高砂市の全山縦走コースは,この峠から旧通学路を通って牛谷へ下っていますが,一本松山へは,正面の急登を登ります。ロープが設置されており,このあたりも整備されているようです。登り切ると,右の展望が一気に開けます。高御位山から桶居山までの大パノラマです。標高100m足らずの展望とは思えません。低山,侮り難しです。展望地点から少し進んだところに分岐点があります。一本松山山頂に向かう道と下山道です。この道も,十年前はなかった道です。今では,すっかり整備され,木の階段だけでなく,地元の幼稚園児の作ったプレートまでかかっています。
分岐点から勾配がきつくなります。右手には格好の休憩ポイントになりそうな岩場があります。岩場を過ぎ,しばらく登ると緩やかな上りになり,尾根が近付いてきます。谷を右手に見ながらさらに登ると尾根(5)に出ます。ここにも地元幼稚園児たちの書いたプレートがたくさん付けられています。左に行けば一本松山山頂ですが,山頂は後回し。まずは,右手に行きましょう。このあたりも十年前は,かすかな踏み跡程度だったのですが,今ではきれいな小道になっています。なだらかな尾根から下りに入り,しばらくすると左手に亀岩の出現です。以前,ササやぶを漕ぎ,なんとかここまで来たものですが,今では極楽です。亀岩は,ふもとから見ると亀のように見えることからネーミングされたようです。岩の周りには安全柵が設けられ,解説のプレートもあります。岩の下にまわると,大きくオーバーハングしているので意外にも大きく感じます。
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亀岩
北脇の山の奇岩。西方の砂池方面から見上げると亀の姿に似ていることから亀岩と呼ばれ,昔から,地域の人々に親しまれている。(現在地は,亀の甲羅の上)
北脇自治会・北脇の自然に親しむ会
縦走路に戻り,さらに下ります。と,分岐点(6)です。そのまま下山するコース(雨乞いの道コース)と,もう少し尾根を回って下山するコース(大谷コース)に分かれています。ここは大谷コースを選択。帰りに雨乞いの道から登ってきましょう。大谷コースも,あちこちにベンチが設置されていたりして,よく整備されています。木立のために展望はあまりありませんが,歩きやすい道です。やがて,大谷コースは鞍部で尾根を外れ,谷に向かいます。この鞍部からもう少し市境を探検してみましょう。疎林の中に踏み跡があるので,ヤブはないでしょう。木立の間を抜けながら,市境尾根を北上します。ところどころ,踏み跡がなくなっていますが,尾根を進めばOK。と,いきなり,目の前に竹製のベンチ出現!さらに行くと,広場状の切り開きになっていますが,その先は今までとは違ってかなり濃いヤブになっています。地元の人たちによる里山整備は,ここでまでのようです。今後の整備に期待です。
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鞍部に戻り,下山します。谷に沿ってつけられた下山ルートは,その先で福祉施設の脇に出るようになっています。住宅地を抜け,新池の脇から雨乞いの道で一本松山に向かいますが,その前にちょっと寄り道。北脇1号墳です。歩いても数分の竹ヤブの中にあります。小さいながらも,きれいに石室が残っています。登り口に戻り,今度こそ一本松山に向かいます。なだらかな上りを登っていると,左手からは絶えずニワトリの鳴き声が聞こえてきます。畑の脇に植えられた満開の紅白の梅が春を演出しています。この時刻になると,朝の冷え込みはなくなり,春らしい柔らかな日差しが降り注ぎ,気持ちのいい山歩きです。徐々に勾配を増し,大谷コースとの分岐点を過ぎるころになると,汗ばんできます。日笠山縦走コースも,清勝坂までは出会うハイカーが多かったのですが,清勝坂から西はハイカーに出会うことがありません。オイラは,こちらの一本松山からのコースの方がお気に入りなんですがねぇ。
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分岐点に戻り,今度は一本松山山頂(7)に向かいます。山頂の南側に展望ポイントがあり,三角点はその途中にあります。山頂に三角点があるというイメージからすると,道端にある三角点は三角点らしくない気がします。山頂付近は,高木が少なく,頭上広々です。展望ポイントには,幼稚園児たちのかいた看板があり,ベンチも設置されています。ここから見る播磨灘は春の陽を受けて,のどかそのものです。昔は,この山頂に生えていた一本の松が播磨灘を航行する船にとっての目印だったそうですが,その松も今では見当たりません。
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一本松山からの下りは,そのまま南下しましょう。急な下りですが,道ははっきりしているので大丈夫。足元に広がるふもとの景色を眺めながら歩くというのは,チョット爽快です。やがて,下りが緩やかになると墓地が見えてきます。さらに進むと,その墓地の上に出ます。つまり,一本松山直登コースは,この墓地というわけです。
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一旦下山し,ため池を回って,再び,山道へ。今度は,巡視路をたどって,縦走コースへ復帰です。まずは,巡視路の「火の用心」プレートから鉄塔に向かいます。このあたりは,斜面を利用した畑作が盛んで,そのためのあぜ道もいたるところにあります。それゆえ,どれが巡視路やら。一つ目の鉄塔に着いたものの,以前,このあたりはあぜ道がゴチャゴチャしていたので,巡視路が訳ワカメでした。今回もあちこち探したものの,結局は,ため池まで戻ることに。もしかすると,一つ目の鉄塔は「行って来い」だったのかな?ため池を過ぎ,広そうな道を探して進むものの,それが人家への道だったり,畑への道だったり。谷の中央付近を進むと神社があります。御嶽神社です。その脇には「成金賽銭箱」と書かれた有り難い?賽銭箱もあります。御嶽神社からさらに奥に進むと,ようやく畑作地帯を脱出。きれいな巡視路が見えます。巡視路は竹林の中を抜け,日笠山縦走路と合流(3)。
縦走路に復帰後は,いつもの道を引き返すだけです。馬坂に下り,起き上がり古木を横目に,ランニングの時は一番キツイ大北山の急登を登り,北山に登り返すと駐車ポイント(P)はすぐです。帰りには,前から気になっていた「黒岩十三仏」の見物に行きましょう。行ってみると,なんと!石像のにぎやかなこと。いたるところに石像が並べられ,拝殿の横には,「網干久雄大人之命」なる胸像まであります。黒岩の十三仏(8)は,そこから少し外れた岩崖にあります。長年風雨にさらされたためか,彫りが浅くなっているので,はっきりとは分かりませんが,仏像らしきものが彫られているようです。
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黒岩
天川沿いの浜国道(旧国道250号線)横にあり,黒みがかった岩のため名付けられた。その一部に室町時代中期に彫られた13の小さな仏像があり,「黒岩の十三仏」と呼ばれる。(「ふる里の山名絵地図」より)