故きを温ねて境を知る船坂峠 (2011.2.5)
なにげなく手にした本の表紙を見ると『播磨の街道』とあります。副題は,「中国行程記」とありますが,なんのこっちゃ?ページをめくってみると,神戸から岡山県境までの昔の街道のガイドブックです。どうやら,西国街道とか山陽街道とか呼ばれる旧道とそれに関する名所旧跡を書いているようです。街道の大半は現在の国道2号線の近くを通っているようですが,一か所大きく外れるところがあります。有年峠です。本によると,現在は「旧道は獣道になってしまい,通れない」とありますが,地形図を見ると破線ルートがしっかり書きこまれています。Webサイトで調べると,通れないことはなさそうですが,倒木などがありチョット大変かも。でも,なんとなく,行ってみたい気になり,早速GO!
歩きだと時間がかかりそうなので,今回はMTBをお供に連れて行くことに。MTBだと,有年峠から下っても,そのまま船坂峠まで街道をたどることだってできそうです。ふだん,縁のない歴史的遺産を見物するのもいいかも。ただ,船坂峠まで行くと帰りはどうするかです。R2を引き返してもいいが,鯰峠の狭いトンネルがあるので,ちょっと怖い。ピストンでもいいかなぁ。とりあえずは,船坂峠に行った時点で考えることにしますか。
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久しぶりにMTBを車に積み込み,赤穂を目指します。姫路バイパスを通り,いつもは素通りする西有年の集落に入り,坂折池を目指します。堰堤に近づくと何台もの車が。その脇にはオレンジ色のジャケットをまとった人が5〜6人。ハンターです。聞けば,これから猟をするとか。鉄砲の音に驚かないで下さいよと言われるが,音だけですめばいいのですが。この坂折池のほとりに西国街道の案内板が設置されています。その最後に,「生活道や山道として地域住民に利用されている」とあるので,獣道ということはないでしょう。というか,この案内板を設置した時に,多少の整備はしているでしょう。ハンターのおっちゃんに教えてもらった通り,池の西側に行くと,「駐車場」と書かれた案内板があり,その先には坂折池が一望できる広い草地が整備されています。西国街道散策用の駐車場ということでしょう。
西国街道(近世山陽道)
その昔,都から大宰府(九州)に通じる道は「山陽道」と呼ばれ,近隣ではたつの市小犬丸から上郡町高田を経て落地に至っていた。
時代は下り,鎌倉幕府と元との関係が悪化し,遂に1274年(文永11)元は約2万6000人の軍隊と約900隻の軍船で九州に攻入った(文永の役)。この第一報が京の都に届いたのは約10日後であった。
この反省から道の整備を図った結果,六波羅探題(京都)と博多とを結ぶ軍用道路,近隣では西条から有年を経て梨ヶ原に通じる道が整備された。これにより,後の「弘安の役」では6日に短縮されたという。この道は山陽道に代わる筑後大路と呼ばれ,江戸時代になると「西国街道(近世山陽道)」と呼ばれるようになった。更に徳川幕府は武家諸法度において,大名の義務として,領地に1年住むと次の1年は必ず江戸(東京)に住むものと定めたため,各大名の参勤交代行列のために,ここ有年の街道や里道,宿場も整備されていたと思われる。
明治18年,明治天皇が山口,広島,岡山三県を巡幸。7月7日の夜は三石村に宿泊。翌7月8日早朝(6時30分頃)宿を出発し,鯰峠を馬で越え,午前8時過ぎに西有年馬路池のほとりに到着。小休止の後馬車で有年の宿(東有年)に向かったと記録されている。
これらに先立ち,梨ヶ原〜馬路池〜東有年間の道路整備により,主要道は通行難所であった有年峠越えから鯰峠越えになり,現国道2号の下地となった。
かつてのにぎわいのあった街道はその面影も消え,現在は生活道や山道として地域住民に利用されている。
平成22年10月 有年地区まちづくり推進協議会
MTBの準備を終え,いざ有年峠へ。しばらくは轍のはっきりとした広い林道です。勾配はほとんどないので楽チンです。Vintageランドナーを整備したついでにこのMTBも整備したので,異音もなくすこぶる快調です。やはり,整備はしなきゃあいけません。それにしてもこの轍は何でしょうと思っていると,轍は左の道へ。道の先には何かの施設があります。そこまでトラックが入っているのかもしれません。有年峠へは直進です。轍はなくなりましたが,それでも路面はきれいなので,MTB乗車可。やがて,地図通りに等高線が狭くなると,勾配がきつくなり,MTBは押しにかわります。それでも,倒木やヤブがないので快適です。このまま峠に行けるのかぁとお気楽に考えていると,ササが道にかぶさっているのが見えます。どうやら,これから道は悪くなりそうです。ただ,地形図を見ると,急登はなさそうなので,MTBの担ぎはないでしょう。
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しだいに道は荒れ,木立の間を抜けなきゃ行けません。通りやすそうなところを選んで進む必要もありますが,基本は谷道なので迷うことはありません。やがて,竹ヤブが見え始めると峠(@)が間近です。峠には,ブロックがあったり,段になっていたりと,何かの施設があっただろう痕跡はありますが,さて???この峠にすぐ近くにまで赤穂国際ゴルフ場が広がっているからでしょうか,人の話し声が聞こえてきてビックリ。ハンターだったのかな?
峠からは2本の破線ルートが伸びていますが,峠道は明らかに直進。MTBにまたがり,待望のダウンヒルといきましょう。九十九折りを抜け,植林の中を走ると,あっけなく害獣除けゲートへ。「険しい坂で播磨の箱根といい,石がごろごろした悪い道だ」ったそうですが,MTBでは全く問題なし。時間にして5分足らずのダウンヒルとなってしまいました。結局,写真を撮る間もなく,ダウンヒル終了。あらまぁ。残念だけど引き返すのはイヤ。ゲートを抜け,畦道のような西国街道を西へ。R2を横切り,梨ヶ原の集落へ。
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この梨ヶ原は,宿場があったそうで,古代山陽道の野磨駅家があったとか。当時は,茶店,神社,高札場などがあったそうで,その遺跡が近年発掘されています。旧道は単なる村中の道という感じで,あたりも昔を偲ばせるものはありません。梨ヶ原の集落の北に船坂神社があり,その脇には鐘突き堂と礎石だけの寺跡があります。鳥居脇の民家には,立派な蔵があります。
梨ヶ原・宿遺跡
梨ヶ原・宿原遺跡は,中世から近世にかけての集落の跡で,多くの建物跡や井戸跡,遺物などがほ場整備事業に先立つ平成4年の発掘調査の際に出土しています。
建物跡は,いずれも掘立柱建物(地面に掘った柱穴に柱を立てた建物)で,当時の一般的な民家と見られています。
遺物として備前焼・青磁・白磁・伊万里・石鍋・宋銭など,広く国内に流通していた品々が,数多く出土しています。
「東寺学衆評定引付」という古文書には,南北朝のころに「梨原商人」がいたとありここ梨ヶ原が当時から街道沿いの流通の基地だったとみられます。
また現在のこる「宿」の字名等からも,この遺跡のまわり一帯が,中世山陽道(近世西国街道)沿いにおこった「宿」と呼ばれる町のひとつ「梨原宿」として,山陽道を行き交う人々でにぎわったものとおもわれます。
上郡町教育委員会
旧道をさらに西へ。集落に入ると,明治天皇がこの地を訪れた記念碑があります。その際,悪路の有年峠を迂回するために現在のR2が急遽造られたとか。恐るべし天皇の力!このあたりから,JR山陽線が間近に見えるようになります。旧道は集落の中を抜け,やがて交通量の多いR2へ。それまでの旧道の静けさがウソのようです。R2を走ることはほとんどなく,すぐに踏切(A)をこえ,船坂峠への道へ入ります。
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この道路は自転車歩行者専用道路です。自動車の通行はできません。(二輪車を除く) 上郡町
船坂峠への道は,現在は車両通行止めになっており,人と二輪だけが通行できます。とはいうものの,しばらくは奥にある施設へ行くために自動車が通っているようです。しだいに,勾配が増し,路面に落ち葉が見えるようになってきます。ただ,勾配はそれほど大きくないので,MTBでチンタラ走りです。所々にJRの管理用?の脇道があり,ここから線路に降りることができます。が,撮り鉄さんはいませんでした。JRがトンネルに入り,R2が近付くと,船坂トンネルです。今まで何十回も通ったであろう船坂トンネルをこんなアングルから見るのは初めてです。
ほどなく,船坂峠(B)着。峠には立派な石碑が立っています。東面は「兵庫縣赤穗郡船坂村」 南面は「縣界 東宮殿下行啓記念 岡山縣」 西面は「岡山縣和氣郡三石町」とあります。この峠より上に旧道があるそうですが,見上げてもただのガケにしか見えません。さて,これからどうするだ?まだ時間があるので,引き返すのはもったいない。かといって,岡山県側に降りてしまうと引き返すの増す増す億劫になる。と,地形図を見ると,峠付近に破線ルートを発見!これをたどると,兵庫県岡山県の県境を南下し,長谷から帰れそうです。チョット遠回りの帰り道ですが,県境というのにも惹かれるものがあるし,長谷の谷道はなだらかなので路面さえよければMTBで楽しめそう。お気楽に考えて,行ってみましょう。
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船坂峠から岡山県側に少し下ると,雲水井戸があります。今はただの水たまりという感じですが,その昔は険しい峠道を越す旅人の貴重な飲み水となっていたのでしょう。さらに下ると,今度は石碑があります。「船坂山義挙の碑について」何やらゴチャゴチャ書いていますが,訳ワカメ。要は,島流しにされる天皇を,この船坂峠で救出しようとしたが,肝心の天皇は別ルートで岡山入りしたので,天皇救出作戦は空振りに終わったという残念な武将の話のようです。しかも,その後,この武将は天皇の宿に「天莫空勾践 時非無笵蠡」の句を落書きし,天皇を励ましたというのですが,さてさてその句を詠んだ天皇はどう思ったのやら。通過ルートすらわからなかった者に,オイラを助け出すことができるんかぁ?!って思ったかもね。ただ,この話は有名だそうで,戦前の国定教科書に登場し,歌にもなっているそうです。
1 船坂山や杉坂と 御あと慕いひて院の庄 微衷をいかで聞えんと 桜の幹に十字の詩
『天勾践を空しうする莫れ 時范蠡無きにしも非ず』
2 御心ならぬいでましの 御袖露けき朝戸出に 誦じて笑ますかしこさよ 桜の幹に十字の詩
『天勾践を空しうする莫れ 時范蠡無きにしも非ず』
石碑の脇には「舟坂山いこいの広場」と書かれた石の案内があります。あとでわかったことですが,その奥に通じるきれいな道を登っていくと旧道の石碑があるそうです。さて,このきれいな道が地形図の破線ルートということは,その延長の破線ルートは左の尾根に通じているはず。行ってみましょう。船坂トンネルの真上にある施設まではきれいな道は続いていますが,それからは?です。しばらく,あたりをウロウロ。見つけたのが尾根に登る巡視路です。なるほど,これなら地形図通りだわさ。それにしても,急斜面に引っかき傷のように付けられたこの極細の巡視路はどやさ。
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MTBを担ぎ,足元を気にしながら尾根に登ります。尾根近くになると,しだいにシダで覆われた道となります。こりゃあ,イカンというので,尾根に直登することに。シダこそないものの,MTBを担いで木立の間を抜けるのは,なかなか至難の業。ハンドルが引っ掛かる,フレームが引っ掛かる,ペダルが引っ掛かる,ディレイラーが引っ掛かる。悪戦苦闘の末,なんとか尾根へ。尾根へ出るときれいな巡視路が一本。あのシダを抜ければこんな極楽が待っていたのかぁ。
巡視路はやはり快適です。MTBまたがり,気持ちよくペダルを回します。R2の騒音が次第に遠ざかり,山に来たことを実感します。朝は雲に遮られた春の陽が,今はいっぱいに振り注いできます。節分を過ぎ,季節は春に向かっているのを実感します。少し登り返しがあったあと,県境と合流です。ここで,巡視路は左へ。県境ルートは右へ。巡視路をこのまま行っても楽しそうですが,今回は県境ルートを探検してみましょう。というので,右へ。
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少し走ると,右手下に林道が見えます。これからしばらくは林道と並行するように破線ルートが延びています。林道を進むんでもいいのですが,せっかくなので,忠実に県境をたどりましょう。小刻みなアップダウンを繰り返し,徐々に高度を上げていきます。そして最後に下ったところが,県境ルートと林道の合流地点です。これまでの様子だと,県境ルートははっきりしているようです。ならば,予定通り,このまま県境ルートを進みましょう。
林道終点の広場から尾根に進みます。しばらくは快適な尾根道ですが,やがて上りに。しかも,しだいにシダが覆い,ついには腰までのシダジャングルに突入。おまけに急登です。さらには,イバラもスタンバイ。木に巻きつけられた赤テープが県境ルートを示しているようです。どうにか,ピークへ。これから先もシダとイバラのW攻撃にあうのかと思うとイヤになりますが,下りはなぜか快適です。細いながらも楽しい尾根道。木立をすりぬけ,段差を越え,楽しいったらありゃしない。だから,MTBは止められんのよねぇ。
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小さなアップダウンを繰り返し,やがて土の広場(C)へ。ちょうどお昼時なのでランチタイムにしましょう。ランチはいつもの小うどん&弁当です。春の陽をいっぱいに浴びながら静かなお山で食するランチはいいものです。R2の通る谷を隔てた向こうには播磨自然高原別荘地が見えています。ただ,この日は春霞がひどく,周りの山々が白っぽいシルエットでしか見えません。空気が澄んでいれば,もしかすると播磨灘も見えたかも。ちょっと残念です。
ランチタイムを終え,県境尾根の縦走再開です。登り返しから一旦北に向き,ピークへ。ピークからは少し下って,最後のピークです。ここで,道は2手に分かれています。その真ん中に赤テープ。どっちやネン!?でも,左に行くと北に向かうようなので,これはダメ。基本は南下ですから,南のルートを選び,MTBでGO!ここから峠までは下り貴重なので,気持ちよくMTBを楽しめます。県境尾根でさえこれだけ乗れるんだから,長谷の谷道が楽しみです。
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最後の緩やかな上りを終え,下り切ると,峠(D)です。地形図ならここで東西に道が分岐しているはずですが,それが見当たりません。道どころか,長谷方面は急斜面です。たぶんこの急斜面を下れば破線ルートに出るでしょうが,まずは道を探しましょう。見ると,左手後方にはっきりとした踏み跡があります。この踏み跡で少し下って,林道と合流するのだろうと都合のいいように読図して踏み跡をたどります。下り切ったところには,古い黄色のテープがあります。右手に道もあるのでそのまま前進。しだいに高度を下げながら,尾根を下っている感じです。やがて,木立の間から林道が見えてきます。こうなれば,樹間をぬって,強引に下るだけです。そして,ようやく林道着。
林道は,落ち葉で覆われたきれいな路面です。これなら,MTBで楽勝!と思いきや,すぐに道は崩落。雨水で削り取られ,木々が生え,岩がゴロゴロです。とても,MTBに乗れる状態ではありません。ありゃまぁ,期待外れだわさ。結局,この荒れた状態は,池の手前まで2kmほど続きました。残念!見るべきところもなく,ひたすら谷を下るだけでは疲れが倍増。やれやれです。
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何度も沢を渡り,ようやく道らしくなり,MTBでGO!です。(E)しばらくして右手を見ると,木立の間から池が見えます。日陰になっている水面は,いまだ氷に覆われています。立春は過ぎたといえ,日陰はまだまだ寒そうです。池の堰堤を過ぎると,路面はアスファルト舗装に。あとは,そのまま車道を帰るだけです。上組の集落に戻り,立場跡を見物。説明板がなければ,ただの民家にしか見えません。坂折池に戻ると,まだハンターたちがいます。聞けば,まだ獲物はないとか。何人もの大人が1日がかりで狙ってもゲットできないなんて,猟は難しいものなんですねぇ。
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今回は,西国街道の見物がメインでしたが,時間的には県境尾根を縦走の方がメインになった感じです。山でのMTBも楽しかったですが,西国街道見物も楽しいものです。山に入るのは有年峠だけなので,あとはランドナーでも行けそうです。これからは,時間を見て,ランドナーで西国街道探訪の旅に出ることにしましょう。
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一里塚跡
江戸日本橋を起点として,全国諸街道の一里ごとに土を盛り多くはエノキを植えて旅人の目印とした。有年横尾からここまでが一里で,現在ではこの塚跡を塚の元と呼ぶ。西有年宝篋印塔 一基(付墓碑一基)
現存高さ1.15米の立派な花崗岩製石造宝篋印塔で,基壇・基礎・塔身・笠・相輪のうち,相輪を欠いて五輪塔の宝珠・受花で代用しているが,塔身の梵字は,深い薬研彫りの見事なものである。製作年代は,鎌倉時代末期または南北朝初期(約600年前)にさかのぼるかと思われる。
この塔は,もと近くの街道脇にあったが,平成5年(1993)3月西有年圃場整備の際取り払われ,平成7年(1995)3月に現在の地に移された。同時にこの地にあった後の墓碑も築きなおした。
赤穗市教育委員会西有年向山の五輪塔
鎌倉時代末か南北朝時代頃に建立されたと思われる。高さ1.7mで花崗岩製。五輪塔の北にある小道は西国街道(筑後大道)である。
坂折池駐車場 9:45 有年峠 10:05 下山10:15 船坂神社 10:25 船坂峠入口 10:40 船坂峠 10:45 巡視路入口 10:55 巡視路県境尾根分岐点 11:10 林道終点 11:20 ランチポイント 11:50〜12:15 最終ピーク 12:30 峠 12:50 長谷林道 13:00 ため池 13:25 坂折池駐車場 13:50